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東京高等裁判所 昭和42年(う)2430号 判決 1968年4月09日

主文

原判決を破棄する。

被告人重田勲を懲役二年に、同田村勝弘を懲役一〇月に処する。

但し被告人田村勝弘に対しこの判決確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。

原審における訴訟費用中証人米野井和雄に支給した分は被告人等の平等負担とする。

理由

本件控訴の趣意は千葉地方検察庁検察官検事臼田彦太郎提出の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は弁護人柴田五郎提出の答弁書記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。これに対する当裁判所の判断は次のとおりである。

控訴趣意第一点について。

所論は、原判決は主訴因である業務上過失傷害、遺棄致死の事実を認めず予備的訴因である業務上過失致死、保護責任者遺棄の事実を認定したのであるがこれは事実を誤認したものであると主張し、宮内義之介、上野正吉の各鑑定書を検討すれば被害者小野寺太郎の死因は直接的には溺死と認むべきであるというのである。

よって記録を検討するに、本件は被告人重田勲に対し第一訴因業務上過失傷害、第二訴因遺棄致死とし、被告人田村勝弘に対し訴因遺致死として起訴され、審理の結果原裁判所は第三回公判において検察官に対し予備的訴因として右業務上過失傷害に業務上過失致死を、遺棄致死に道路交通法違反を付加すべきことを命じ、検察官は第六回公判において原判示の如く予備的に訴因を追加したことが認められるのである。検察官が任意に予備的に訴因を追加し、裁判所がその予備的訴因を認定した場合には、検察官は主訴因を認定すべきであったとして事実誤認を主張し得ないとすべきところ、検察官が裁判所の命令に従って予備的訴因の追加をなした場合に限り、主訴因を認定すべきであったとして事実誤認を主張し得るものと解すべきである。従って検察官の事実誤認の主張は適法であるから、進んでその当否につき考察するに、宮内義之介の鑑定書の説明三には「本屍に於ける前記各損傷の中(イ)(ロ)の損傷はクモ膜下出血、脳挫創、脳内出血、脳腫脹等を形成して生前致命的なる脳障害を発現したことが推定される。……本屍の内蔵および血液についてプランクトン検出を行ったところ軽度ではあるがプランクトン類がそれぞれ検出され交通事故によって致命的脳障害を発現した死の直前において溺水を吸引したことが明かとなった。本屍における外傷がはなはだ高度で致命的であり溺水吸引は軽度であることから本屍の死因は頭部打撲による脳障害とする。なお本屍に認められる溢血点の発生は脳障害時あるいは窒息時に認められる所見である」とし、鑑定主文は「本屍の死因は交通事故に原ずく頭部打撲による脳障害である」とあり、上野正吉の鑑定書の鑑定経過第二節には「四……従ってこれは扁桃核部の出血は二次性出血ではなく一次性の出血であろうと考える方が実体に近いように考えられて来る。……前記の扁桃核の出血さえも外力直接の一次性の出血であるということになればそれはそれら外力の脳への影響は極めて甚大なものであったことを示すと同時に死亡までそう時間が介在しなくても差し支えないということになる。八、……本屍における脳傷害の程度は極めて高度のものであったことは略確定的にされたのであるが、それが外傷後瞬時にあるいはおそくとも十数分以内に死亡する程のものであったか、あるいは数時間乃至は一、二日は生存し得るものであったかとなると鑑定書に表れた解剖所見のみではにわかに断定できない。九、……死体解剖鑑定書によるに「左胸腔内には血液少許を容れ、右胸腔内には水様血様液少許を容る」とあり、普通溺死の場合しかも本件の如く胸腔肋膜に癒着のないとみられる場合には、胸腔内による多量の水様液の見られるのが常なものであることを想起すれば、これは溺死としてはかなり異例的な所見である。……従って頭部を水中に没入せしめた時点においては呼吸運動も心臓搏動も存在し、この意味では生きていたのであり、ここで溺水を吸引し窒息の条件下で死亡した筈である。この意味で最後の息の根を止めたものはこの溺水吸引であり、従って死因は溺死であるとしてあながち不都合ではない。しかしこれはあくまでも純学理(生理学)上のみのことであり、前記の脳障害の程度如何によってはこれは妥当でない場合もあり得るのである。一〇、……若し本件被害者が転落により水中に頭部を没入せしめた後、外傷による脳障害の程度が極めて高度であるために自力でこれから脱出することができず、遂に死亡するに至ったとすれば、その死因を脳障害とするのがむしろ妥当であろう。その場合生活力の微弱により溺水の吸引も軽微であるか、或いは全く存しない場合にはこれが極めて確定的である。」とし、鑑定主文は「本件被害者小野寺太郎の死因は本件外力による脳傷害であるか、あるいはこれを主体とし、これに溺死機転の付加されたものである。」とあるのである。右両鑑定書を検討するにその説明と鑑定主文には矛盾はなく、その結論は十分に信頼し得るところであり、両鑑定はその結論を等しくしているものと解すべきである。即ち、宮内鑑定では、胸壁、肋膜、脾臓、膵臓に溢血点の発生を認めるが、これは脳障害時、あるいは窒息時に認められる所見であるとし、外傷が甚だ高度で致命的であり、溺水吸引が軽度であることから死因は脳障害であると結論して居り、上野鑑定では、脳の扁桃核部の出血を外力直接の一次性出血と考え、その脳傷害は極めて高度であったとし、胸腔内に少許の水様血様液を容るということは溺死としてはかなり累例的な所見であるとし、溺水吸引の軽微を推定して、死因を外力による脳障害であるか、或いはこれを主体とし溺死機転の付加されたものであると結論して居るのである。従って、いづれによっても所論の如く死因を溺死のみとすべしとの結論は認め難く、記録上これを否定すべき資料は存しないのである。所論引用の判決(昭和三七年六月二一日東京高等裁判所)は死因を溺死と認め得べき場合(本件上野鑑定の「たとえ意識障碍があってもそれは自然に又は医療により恢復可能な一時的のものであり、従って溺水の吸引も高度である場合には死因は脳障害とせず、溺死とするを妥当とすべきである」に該当する場合である)であるから本件には適切ではない。

よって原判決が本件被害者小野寺太郎の死因を本件衝突事故による脳障害であると認定したことは正当であり、所論の如き事実の誤認は存しないのである。論旨は理由がない。

控訴趣意第二点について。

所論は原判決の被告人等に対する科刑は軽きに過ぎて不当であると主張する。

よって案ずるに、被告人重田は前方注視を怠たり、助手である相被告人田村が前方に歩行者がいると注意したのに確認せず漫然と時速六〇粁位で進行して本件衝突事故を惹起し被害者を死に致したものであるから、被害者が酒に酔って歩行していたことを考慮してもその過失は重大であったと認むべく、事故後右田村が警察官に届出でる様すすめたのに拘らず、被害者を遺棄して逃走したのであるから、その刑責は重いというべく、被告人がその非行を悔い、被害者の遺族に陳謝してその宥恕を得て居る等有利な事情を勘案しても刑の執行を猶予したことは軽きに過ぎて不当である。被告人田村は溺死の重傷を負った被害者を右重田と共に道端に遺棄したのであるからその刑責は軽からざるものであり、原判決が懲役六月に処したことは軽きに過ぎて不当であるというべきである。

論旨はその理由がある。

よって刑事訴訟法第三九七条第三八一条に則り原判決を破棄し、同法第四〇〇条但書により当裁判所において直ちに判決することとする。

原判決の認定した事実に法律を適用すると、被告人重田の原判示第一の所為は刑法第二一一条前段、罰金等臨時措置法第三条第一項第一号に、同第二の所為は刑法第二一八条第一項第六〇条に該当するので業務上過失致死罪につき所定刑中禁錮刑を選択し、以上は同法第四五条前段の併合罪であるから同法第四七条第一〇条に従い重い保護責任者遺棄罪の刑に法定の加重をなした刑期内で被告人重田を懲役二年に処し、被告人田村の原判示第二の所為は刑法第二一八条第一項第六〇条に該当するので所定刑期内で同被告人を懲役一〇月に処するが、同人は助手として同乗していた為に、運転手である相被告人重田と共に行動したものであり、その間にも警察官に申告すべく注意したことも認められるので、右重田に比しその犯状は軽く深くその非を反省して居るから刑の執行を猶予するのを相当と認め同法第二五条第一項を適用してこの判決確定の日から三年間その執行を猶予し、刑事訴訟法第一八一条第一項に則り原審における訴訟費用中証人米野井和雄に支給した分は被告人等に平等負担させることとし、主文のとおり判決する。

(裁判長判事 久永正勝 判事 津田正良 四ツ谷巌)

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